■ボウリングの歴史
現代的な印象が強いボウリングですが、その歴史は驚くほど古いのです。
今から7200年前のエジプト古墳から、英国の考古学者「サー・フリンダース・ペトリ教授」が、19世紀に発掘した木のボールとピン、大理石のゲートはボウリングの原形として、ロンドン博物館に展示されています。
今も行われているスポーツで、発生が紀元前にみられるのは、ボウリングとサッカーだけでしょう。
■ボウリング古代史
紀元前500年ごろから紀元5世紀にかけて、ボウリングはヨーロッパの貴族達に普及してゆきました。
その後、いったん歴史から消えますが、12世紀になるとヨーロッパ大陸とイギリスで盛んになります。
これは興味深いことにサッカーと同時の上陸でした。中世ドイツでは、ボウリングは「ケグリング」と呼ばれ、キリスト教信者の信仰心をためす儀式のひとつでした。
しかし、だんだんに、1個のボールで何本のピンを倒せるかという遊びとなり、やがて中世ドイツの最もポピュラーで人気のあるスポーツとなっていったのです。
■ナイン・ピン・ボウリング流行
ボウリングの歴史には、ちょっと意外な人物も登場します。
宗教革命で有名な「マルチン・ルッター」です。彼は、当時の熱心な「ケグラー」で、それまでまちまちだったピンの数を9本に定めたほか、ゲームの基本的なルールを統一した功労者でした。
このことからも想像されるように、ボウリングは特に清教徒、それも漁民のあいだで人気がありました。
17世紀、清教徒は大挙して新大陸アメリカに移住します。のちにアメリカでボウリングが盛んになり、近代スポーツとして発展した背景がここにあります。
■テン・ピン・ボウリング発生
アメリカに渡ったボウリングは、はじめ東部の漁港都市で、ついで中部工業都市にひろがって、200年間にわたり大流行しました。
この間に、ピンは9本から10本の「10ピンボウリング」に発展し、「10ピンズ」と呼ばれるようになります。
今日のボウリング用語の大部分は、このころ生まれています。
■日本での歴史
文久元年(1861年)、長崎・出島のオランダ人居留地に初のボウリング場がオープン。
明治30年(1897年)、京都青年会館にボウリング場が設置される。
大正5年、神田YMCAにボウリング場が設置される。
昭和27年(1952年)、東京・青山に初の民間ボウリング場がオープンしましたが、当時の上流階級の人々が出入りする特別な場所となりました。